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3/21mon

東北地方太平洋沖地震から10日ほど経ちました。
亡くなられた方、被災されて今も苦しい日々を過ごされ
ている方々に心よりお見舞いを申し上げます。

今回の震災で色々な想いがめぐりました。
ただそれも想いに他ならず、実のところ僕自身に
出来ることもたかがしれているという無力感に気持ちは
埋もれてしまいます。

被災されている方々の速やかかつ出来うる限りの
救済支援というのが最大の課題であることは疑いようが
ありません。
義援金や救援物資、避難地の提供やボランティア活動
など多くの人が自らにできうることを働きかけています。

繰り返しますが現在の最大の課題は被災者の方々の
救済支援です。僕らのできうるコトというのはここに
注がれていかなければならないと考えます。

僕は今回の震災時、東京にいました。
その後も東京にてテレビやネット等を通じて
震災後の状況の情報を得ていました。
被災地の想像を絶するような悲惨な光景と救援所での
逼迫した状況が映し出されるそれはコレまでにはない
感情の揺さぶりを起こすと同時に自身にはコレといった
コトも出来ぬといった無力感で震災からの日々は
心身共にすこしばかり落ち込んでしまいました。
しかしながら、被災したわけでもない自分がいつまでも
落ち込んでいるわけにもいかず、むしろ気丈で
いなければならないはずだと。少し冷静に事態を
みなくちゃと。
そう、一つくらいは思ったことを書いてもいいか、
イヤ書いておくべきかと思い久々にブログに書き込みを
しました。

夕方、知人と話しながら散歩していてフト思った
ことです。

昨今は神社やお寺などへ興味を持ち出向く人が増えて
います。歴史ブームやスピリッチャルのモノへの関心の
高まりということもあってだとおもいますが、これは
「確かなモノ」への羨望なのだと思います。
自身の疲弊したまた迷いや不安のある気持ちを
歴史や伝統に裏打ちされた場所で安心したり
慰めるというのはよくわかります。

では例えば原発

これはある意味、神社とは真逆の位置にあります。
我々の生活は原発への依存なくしてはなりたちません。
しかしながら原発というのはこの国のタブーとされて
います。「原発ヤバイよね、それに非核三原則を謳っ
ているくにがさぁ~」といったところで語られている
部屋では灯りが煌々とついてヒーターで暖められていて
家に帰れば御飯はレンジでチーンだったりするわけです。
触れたくない「不確かなモノ」なわけです。
今回の福島第1原発の事故での報道とそれに伴う
「不確かなモノ」への人々の動きは顕著です。
ミリシーベルト、マイクロシーベルトという単位で
倍倍ゲームを演じて不安を煽るテレビの報道、
「大丈夫ですね、本当に大丈夫なんですね!」と
まるで市民の代表ヅラして専門家にいいよる無責任な
テレビ司会者、「だって被曝したくないもん」って
トラックうんちゃん。「30km?イヤイヤ125km圏外から
ハナレテクダサーイ」とスペイン人。
誰も知らないし誰も信じていないんです。

「不確かなモノ」という原発に寄りかかった日常から
「確かなモノ」を求めて神社に向かう我々の姿は
どことなく滑稽なもんです。

だけど

「もう不確かじゃいられない・・
全ては警告どおり」

誰かさんの言うとおりだ。

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